2015年07月06日
「新城市民憲章」の制定の反対討論。
今日は「新城市民憲章の制定」についての反対討論をアップします。
市民憲章とは、私たち新城市民に対し「行動規範」をしめすものです。
例えば、「いつも、笑顔でいましょう。」などです。
僕も、確かに、笑顔でいることはいいことだと思います。しかし、笑顔は、市や誰かに強制されて出るものではないと思います。(写真↓ 新城市民憲章)

僕は、市民のみなさんに、笑顔を求める前に、新城市がやるべきことがあると思います。つまり、自然と笑顔が出るようなまちづくり、笑顔を裏づける、具体的なまちづくり政策こそ、いまの新城市に大切だと思います。
人口減少、消滅可能性都市、貧困、不景気、子育て、仕事、健康、国保税の値上げ、産廃をはじめとする環境問題の政策など、数多くあると思います。僕は、一般的な規範を定めた憲章よりも、こうした、新城市民が、生活の中で抱える不安を解消する具体策を早急に行うべきだと考えます。
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第124号議案 新城市民憲章の制定 反対討論
日本共産党の浅尾洋平です。
第124号議案「新城市民憲章の制定」に反対する立場から、討論を行います。
この議案は、本文を読んでいただけると分かりますが、「わたしたち新城市民は」という言葉を主語にしており、「ここに市民憲章を定めます」とあるように、新城市民の「行動規範」あるいは「きまり」であります。
例えば、「ふるさとを愛し、きれいな水と緑を守ります」とか「心身共に健(すこ)やかに、笑顔あふれるまちを創(つく)ります」という規定が、ぜんぶで5点、記されています。
私は、これらの規定について反対するものではありません。むしろ、一般化された内容としては否定のしようのないものです。
私が反対する理由は、質疑の中でも伝えましたが、2つあります。
1つは、「新城市民憲章」が、新城市民の「行動規範」と「きまり」である以上、新城市が、市民に対して、たとえ一般的な規定内容であろうと、「きまり」の押し付けになると考えるからです。もちろん、僕の周りの市民の方々からは「憲章を作って欲しい」等という声や要望は、ありません。
質疑で明らかになった事実として、市は「市民のご意見をパブコメで聴取した」と答弁しましたが、その結果は、ゼロでした。
市は、市民から「ご理解いただけた」と言いますが、私は、市民の関心はなかった、と思います。「教育憲章」には、250をこえるパブコメが寄せられているからです。
また、かつて、私が勤務していた「新城市民病院」の「憲章」では、病院のスタッフが、患者さんに対して、何をするか、その具体的な「行動規範」を定めています。
誰が、誰に対して、という主従(しゅじゅう)関係が明確になっています。
しかし市民憲章は、よく分からないのです。
本来なら、市民憲章の「主語」は「わたしたち新城市民」ではなく、「新城市役所は」「市行政は」に変え、市は、新城市民に対して何をしてくれるのか、具体的な行動規範を定めるべきなのです。
市は「それは、内規だ」と反論するかもしれませんが、「憲章」とは、本来、市の内外に明らかにする行動規範に他なりません。
2つ目の反対理由は、憲章の内容が、誰も否定できない一般的な規定でありながら、それを実現しようと考える時、市内の産廃問題や北部医療圏における若者の自殺率の高さ、あるいは、貧困・いじめなどで進学を諦めなくてはならなかった方々への配慮……、そういう極めて具体的な問題を解決する方向性が、この憲章では、見いだせないからです。
先月末の「住民投票」の結果でも、はっきりしましたが、市民のみなさんは、いまの新城市の行政に対し、大きな不信感と怒りを抱えております。
例えば「もっくる新城」の「うっかりミス」、「車検切れの公用車」の乗り回し、職員の不祥事、不手際・説明不足、あげればキリがありません。私たち市会議員の力不足もあります。
このまま市長と市、市議会が、自分のことを棚に上げて、市民憲章をつくるとなれば、市民のみなさんは、ますます「押し付け」に感じて、さらなる反発をまねく可能性があると考えます。
私は、この場をかりて、改めて訴えます。
市内八名地区の産廃問題は、どうするのですか?
心を病んで、自死された若者が、愛知県の中で奥三河・北部医療圏が一番多いことを知っていますか?
うつ病のかたは「心身ともに健やかに」とか「笑顔あふれるまち」などと、言われれば、言われるほど重圧に感じると言われています。
私は、このような新城市の実態を放置したまま、「市民憲章」をつくることは、良くないと考えます。少なくとも、急ぐ必要はないと思います。
以上をもって、私の反対討論といたします。
皆さんは、どうお考えでしょうか?
今日も、ご訪問ありがとうございました。
市民憲章とは、私たち新城市民に対し「行動規範」をしめすものです。
例えば、「いつも、笑顔でいましょう。」などです。
僕も、確かに、笑顔でいることはいいことだと思います。しかし、笑顔は、市や誰かに強制されて出るものではないと思います。(写真↓ 新城市民憲章)

僕は、市民のみなさんに、笑顔を求める前に、新城市がやるべきことがあると思います。つまり、自然と笑顔が出るようなまちづくり、笑顔を裏づける、具体的なまちづくり政策こそ、いまの新城市に大切だと思います。
人口減少、消滅可能性都市、貧困、不景気、子育て、仕事、健康、国保税の値上げ、産廃をはじめとする環境問題の政策など、数多くあると思います。僕は、一般的な規範を定めた憲章よりも、こうした、新城市民が、生活の中で抱える不安を解消する具体策を早急に行うべきだと考えます。
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第124号議案 新城市民憲章の制定 反対討論
日本共産党の浅尾洋平です。
第124号議案「新城市民憲章の制定」に反対する立場から、討論を行います。
この議案は、本文を読んでいただけると分かりますが、「わたしたち新城市民は」という言葉を主語にしており、「ここに市民憲章を定めます」とあるように、新城市民の「行動規範」あるいは「きまり」であります。
例えば、「ふるさとを愛し、きれいな水と緑を守ります」とか「心身共に健(すこ)やかに、笑顔あふれるまちを創(つく)ります」という規定が、ぜんぶで5点、記されています。
私は、これらの規定について反対するものではありません。むしろ、一般化された内容としては否定のしようのないものです。
私が反対する理由は、質疑の中でも伝えましたが、2つあります。
1つは、「新城市民憲章」が、新城市民の「行動規範」と「きまり」である以上、新城市が、市民に対して、たとえ一般的な規定内容であろうと、「きまり」の押し付けになると考えるからです。もちろん、僕の周りの市民の方々からは「憲章を作って欲しい」等という声や要望は、ありません。
質疑で明らかになった事実として、市は「市民のご意見をパブコメで聴取した」と答弁しましたが、その結果は、ゼロでした。
市は、市民から「ご理解いただけた」と言いますが、私は、市民の関心はなかった、と思います。「教育憲章」には、250をこえるパブコメが寄せられているからです。
また、かつて、私が勤務していた「新城市民病院」の「憲章」では、病院のスタッフが、患者さんに対して、何をするか、その具体的な「行動規範」を定めています。
誰が、誰に対して、という主従(しゅじゅう)関係が明確になっています。
しかし市民憲章は、よく分からないのです。
本来なら、市民憲章の「主語」は「わたしたち新城市民」ではなく、「新城市役所は」「市行政は」に変え、市は、新城市民に対して何をしてくれるのか、具体的な行動規範を定めるべきなのです。
市は「それは、内規だ」と反論するかもしれませんが、「憲章」とは、本来、市の内外に明らかにする行動規範に他なりません。
2つ目の反対理由は、憲章の内容が、誰も否定できない一般的な規定でありながら、それを実現しようと考える時、市内の産廃問題や北部医療圏における若者の自殺率の高さ、あるいは、貧困・いじめなどで進学を諦めなくてはならなかった方々への配慮……、そういう極めて具体的な問題を解決する方向性が、この憲章では、見いだせないからです。
先月末の「住民投票」の結果でも、はっきりしましたが、市民のみなさんは、いまの新城市の行政に対し、大きな不信感と怒りを抱えております。
例えば「もっくる新城」の「うっかりミス」、「車検切れの公用車」の乗り回し、職員の不祥事、不手際・説明不足、あげればキリがありません。私たち市会議員の力不足もあります。
このまま市長と市、市議会が、自分のことを棚に上げて、市民憲章をつくるとなれば、市民のみなさんは、ますます「押し付け」に感じて、さらなる反発をまねく可能性があると考えます。
私は、この場をかりて、改めて訴えます。
市内八名地区の産廃問題は、どうするのですか?
心を病んで、自死された若者が、愛知県の中で奥三河・北部医療圏が一番多いことを知っていますか?
うつ病のかたは「心身ともに健やかに」とか「笑顔あふれるまち」などと、言われれば、言われるほど重圧に感じると言われています。
私は、このような新城市の実態を放置したまま、「市民憲章」をつくることは、良くないと考えます。少なくとも、急ぐ必要はないと思います。
以上をもって、私の反対討論といたします。
皆さんは、どうお考えでしょうか?
今日も、ご訪問ありがとうございました。
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